2008年8月21日木曜日
axiology
それって何々みたいだね、とか誰々と同じだね、という仕方で物事を判断する人間は殊の外多い。己の少ない見識が構築したカテゴリに対象を押し込めて理解しようとするのは至って自然なことなのだが、それだけに、自分はそういう物事の理解の仕方は受動的で、あまり好ましくないと感じる。
何故、わざわざ何かを引き合いに出さなければ対象を理解できないのか。受け入れられないのか。
答えは至って簡単で、自分の判断が信じられず、わざわざ一般的な事柄を引き合いに出して自分以外の何者かの了承を得ないと、不安だからだ。
己の力のみで対象を咀嚼する能力に欠けている。勉強不足。
別に自分ひとりで生きていけるとか他人など頼る価値もないだとか、そんな傲慢なことを思っている訳ではない。判断を他者と共有し依存する危うさを知っているだけだ。
全ての対象はあるがままの存在でしかない。何にも似ていないし、何かと同じではない。
だからこそ、存在するだけで意味が、理由がある。わざわざ外側から付け加える必要などない。
その辺が分かってるなぁ、と思うのは、いつも凄腕の職人さんたちとお喋りしている時だ。先日、めでたくWEBサイトがオープンした神戸のSammy's Accessory Studio KOBEのSammyさんも、そんな一人だ。若い頃のお話もいつも面白く聞かせてもらっている。
そういう人と一緒に仕事をすると、本当に勉強になるし、何より楽しいのです。
[Sammy's Accessory Studio KOBE]
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