2007年9月13日木曜日

今は昔


 1997年にリリースされた歌を聴いている。
 日常の些事に紛れて擦り切れてしまったと思っていた情動の欠片が、隙間だらけの胸腔の裡に充ち始める。

 今はもう連絡も取れなくなってしまった先輩、明け方まで飲み明かした友人、無計画にバイクで飛び出して辿り着いた埠頭から見た日の出、自動販売機の前での雨宿りと熱いコーヒー、不連続に堆積するだけの時間のそれぞれの環ですれ違った人たちや風景が、ふとなんとも言えない奇妙な感情を伴って脳裏を巡る。

 あまりよい徴候ではない。

 こうしたエピソード記憶は意味記憶とは異なり、更新されない記憶だ。確かにもっとも高度な記憶システムではあるが、一方で永遠に立ち止まった時間でもある。懐かしがったり後悔してみたりするのは勝手だが、基本的に必要なエッセンスが蕩尽された抜け殻のようなものだ。

 だが前を向けるのは、そうした記憶があるからこそだ。進化論上必要な機能だけが残るのなら、まさにこの一点において、エピソード記憶というシステムは洗練されたのだと思う。

 今日は懐かしい夢が見れそうです。


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